「ダーティ・ダンシング」は1987年に公開されたアメリカ映画で、現在でもリメイクや舞台化など幅広く、また数多くの形に姿を変え、新規にファンを増やし続けています。当時は無名であったスタジオとほとんど無名の俳優たちを起用し、低予算で制作されたこの映画は、ここまでの大ヒットになるとは誰も予想だにしていませんでした。
「ダーティ・ダンシング」の脚本が書き上がったときに、それまで制作を推し進めてくれていた重要な幹部が制作会社からいなくなってしまい、その制作会社はこの映画の製作を急遽断念します。脚本家であったエレノア・バーグスタインはそれ以降、実に様々な制作会社に脚本を持ちこんでみたものの、どこに行っても評価されず制作を断られる日々を送っていました。このままお蔵入りになる可能性も十分にあったこの「ダーティ・ダンシング」ですが、当時新興会社であったベストロン映画はこの脚本を評価し、制作に必要な予算をなんとか捻出、この映画は完成まで辿りつくことができました。
この小さな新興会社が出せる予算は限りがあったため、キャストも低予算で起用されることとなり、当時は無名であり、この映画で世界に名を馳せた俳優もたくさん使われています。そこで今回は、そんな俳優たちの知られざる9つの裏話をご紹介したいと思います。以下、ネタバレも含みますが、ぜひ参考にしてみてください。
『ダーティ・ダンシング』
俳優たちの知られざる9つの裏話
その1:売れっ子俳優の一人となったジョニー
「誰もベイビーを離しはしないさ-Nobody puts Baby in a corner.」という名セリフで一躍、時の人となったジョニー役パトリック・スウェイジですが、その後もあの有名なラブストーリー「ゴースト/ニューヨークの幻」やアクション映画「ハートブルー」など数々の映画に出演。デミ・ムーアやキアヌ・リーヴスと共演するなど俳優としてのキャリアを着実に積んでいきました。
その2:重病を患い、帰らぬ人となったジョニー
「ダーティ・ダンシング」以降は、順風満帆な俳優人生を送っていたジョニー役のパトリック・スウェイジですが、2008年にテレビドラマシリーズ撮影中に膵臓がんと診断され、その一年後に57歳という若さで亡くなってしまいました。この悲しい知らせを聞いて、多くの共演者やファンが涙を流すこととなりました。
その3:心配性の父親はブロードウェイのベテラン!?
ジェリーがペニーを妊娠させたと、クライマックスの時まで誤解し続けていたベイビーを心から愛す心配性の父親ハウスマン医師を演じたジェリー・オーバック。彼はブロードウェイではかなり名の知れた人物で、数多くのミュージカルに出演、その経験を積んでいました。その人生のほとんどをニューヨークに捧げ、またニューヨーカーにも愛されて生活していたために、ジェリー・オーバックが亡くなった際には、彼の住んでいた53番街に「ジェリー・オーバック通り」と名付けられたストリートが誕生しました。
その4:映画界から一転、テレビ業界への転身
「ダーティ・ダンシング」では、自信満々の姉リサ役として注目を集めていたジェーン・ブラッカーですが、この映画以降は一転、テレビ業界に進出し、「Wiseguy」や「Ellen」などに代表されるコメディドラマの俳優として有名になっていきました。その後は映画などに出演もしていますが、子どもが誕生してからは母親という仕事に重点をおき、幸せな生活を続けているようです。
その5:実はプロのダンサーであり、体操競技選手
女たらしのウェイター、ロビーとの子どもを妊娠してしまい、その後も手術の失敗など悲惨な目にあったペニー役であったシンシア・ローズ。彼女は、もともとプロのダンサーであり、この映画以前にも「フラッシュダンス」や「ステイン・アライブ」にも出演していました。また体操競技選手であったことも有名で、ペニーのダンスの上手さを裏付ける実績を持っています。
その6:リチャード・マークスの大ヒット曲はラブレター
歌手であるリチャード・マークスの大ヒット曲である「Right Here Waiting」ですが、これは実は当時から付き合っていたペニーことシンシア・ローズに宛てたラブレターに曲をつけたもので、リチャードはこの曲のヒットを機に結婚を決意。シンシアとの結婚に踏み切ったと言われています。
その7:母親役が定着したベイビーとリサの母
心配性のハウスマン医師とは対照的に、優しさに溢れる理解ある母親を演じたケリー・ビショップですが、彼女もバレエダンサーであった過去を持っています。「ダーティ・ダンシング」以降は母親役のオファーが頻繁に届くようになり、「プライベート・パーツ」や「ギルモア・ガールズ」においても母親役に抜擢され、安定の名演技を見せました。
その8:整形手術の失敗で仕事を失う
自分に自信の持てない裕福なお嬢さまであったベイビーは、最終的に自分を犠牲にしてでも大切な人を守れる強い女性へと成長しました。当時27歳でこのベイビーを演じたジェニファー・グレイは、その後、本人も語っているように鼻の整形手術の失敗により、それ以降はなかなか役をもらうことのできない苦しい日々を過ごすことになります。
その9:リアルでも強い女性に成長したベイビー
映画監督でもあるクラーク・グレッグとの結婚・出産後も同じように役の見付からない状況が続きましたが、なんと50歳のころにダンス番組に自ら出演!亡くなったパトリック・スウェイジにダンスを捧げ、観客に感動を与えるなどして優勝。その後は一気に仕事も増え、映画やテレビにも出演する機会が増えています。
いかがでしたか。
今回は『ダーティ・ダンシング』俳優たちの知られざる9つの裏話と題して、出演俳優たちの9つの裏話についてご紹介しました。この記事を参考に、改めて「ダーティ・ダンシング」をご覧になり、ぜひ新たな楽しみを見つけてみてください。
まとめ
『ダーティ・ダンシング』
俳優たちの知られざる9つの裏話その1:売れっ子俳優の一人となったジョニー
その2:重病を患い、帰らぬ人となったジョニー
その3:心配性の父親はブロードウェイのベテラン!?
その4:映画界から一転、テレビ業界への転身
その5:実はプロのダンサーであり、体操競技選手
その6:リチャード・マークスの大ヒット曲はラブレター
その7:母親役が定着したベイビーとリサの母
その8:整形手術の失敗で仕事を失う
その9:リアルでも強い女性に成長したベイビー